トップページ > 特集 vol.69 消防のトリビア

消防のトリビア

消防のダイヤルといえば「119番」が常識ですが、ある時期まで「112番」が使われていたことをご存じでしょうか? このページでは、明治以降の消防にまつわるさまざまなトリビアを紹介します。

火災の通報は「112番」だった!?

 今では、火事を発見したら119番で通報するのが当たり前ですが、そもそも専用電話による火災の通報が制度化されたのは1917年のこと。当時の電話は今と違い、電話交換手が手動で発信側と受信側の電話機を接続していましたから、「火事です」と伝えれば直接消防署につなげてもらえたようです。その後、電話の接続方法が手動から自動に変わった1926年に、119番ではなく「112番」で通報できるサービスがスタート。なぜ112番だったのかといえば、ダイヤル式の電話だと「1・1・2」のほうが早くダイヤルできるというのが理由だったとか。
 しかし、電話に慣れていない人が多かったせいか“かけ間違い”が多発し、翌年の1927年には現在と同じ119番に変更されることになります。当時、地域番号(局番の第一数字)として使われていなかったこと、さらにダイヤルする距離が長い「9」を最後にすることで、通報者が落ち着いて状況を伝えられるのではと考えられたそう。ちなみに、119番は中国や韓国、台湾でも採用されている番号です。

消防装備のいま・むかし

 古くは破壊やバケツ消火に頼っていた消防の装備も、明治から平成までのあいだに飛躍的な進化を遂げました。主な装備の今昔をここで比べてみましょう。

消防ポンプ車

 竜吐水や水鉄砲に代わる新戦力が次々と登場した明治時代。1870年にイギリスから腕用ポンプや蒸気ポンプが輸入されたことを皮切りに、最先端の消防機器が西洋から輸入され、国産化も本格化します。消防車両の主力であるガソリン式の消防ポンプ車は、1911年に大阪市がドイツから初めて輸入し、1933年には東京・高輪の消防署に現代と同じような水槽付きのポンプ車が登場。約1000リットルの水槽と2口の放水口を備え、毎分の放水量は1口約300リットルだったそう。現代の消防ポンプ車は2000リットル以上の水槽容量を誇る車両もあり、高出力のポンプで放水を行うのはもちろん、人命救助活動を行ったり障害物を破壊したりできる機材を搭載し、火災現場にいち早く到着した場合は救助活動も展開できる多目的化が進んでいます。

消防はしご車

 消防車両の花形といえば消防はしご車。日本初のはしご車は1903年にドイツから輸入されました。はしごの部分は木と鉄の混合でできた“三連”で、長さは約18メートル。動力は“2頭の馬”だったところが時代を感じさせます。現在のはしご車は、はしごの部分が連段になっているものから、くの字、Σ型に屈折するものまでさまざま。フェンスや電線を乗り越えて建物に近づくことができるように先端付近だけ屈折するタイプもあります。国内最長のはしご車は54メートルと、18階くらいまで届く高さだとか!

防火衣・呼吸器

 炎と戦う消防隊員を危険から守ってくれるのが、隊員それぞれが着用する防火衣や呼吸器です。江戸時代は火消といえば半纏がトレードマークでしたが、明治に入ると煙から身を守る呼吸器が早くも登場。石綿で織った火に強い布と鋼鉄板でできていて、火災の煙の中でも消火活動ができるように空気管や装具を水で湿らせる装置も設けられていたといいます。現在の防火衣は炎があたっても不燃・不溶の耐熱性能を持ち、熱中症対策として上下に分かれた防火衣の上衣の丈を短くしたタイプもトレンドだとか。また、“スマートグラス”を通して現場を指揮する隊長と火災現場に進入する隊員が交信し、救助が必要な人の位置情報や建物内の見取り図などを表示できるIoT化の研究開発も進められているんです。

あの勇姿はもう見られません……

 火災発生を告げるアナウンスとともに、“滑り棒”を使って素早く階下に移動し、防火衣を着込んで出動する――消防隊員の出動といえば、そんなイメージを持っている方も多いのではないでしょうか。しかし、近年は滑り棒の撤去が全国の消防署で進められ、滑り棒を使っている署はほとんどないのだそう……。
 撤去の主な理由は、通信システムが発達したことで通報の受信と同時に消防署内でもその内容を確認できるから。また、実際には階段を使ったほうが早かったり、着地時の怪我や棒の摩擦による火傷などのアクシデントを避ける狙いもあるほか、近年は消防署の平屋化が進んで、そもそも滑り棒が不要だったり、2階建てでも階段を多く設けた設計にしているところも多いのだとか。通報から出動までの時間が短縮され、不要な怪我の心配もなくなりましたが、滑り棒をシュルシュルと降りてくるあの勇姿が見られないのはちょっと残念でもありますね。

交通事情の変化で生まれた救急業務

 消防と並んで私たちの暮らしに欠かせないのが救急です。救急業務が始まったのは、消防組織の結成より時代を下って昭和初期のこと。1933年、神奈川県の警察が横浜市の消防署にキャデラックを改造した救急車を配備したことに始まるとされています。翌年には名古屋や東京でも救急車が走るようになりますが、自動車の増加で交通事故も急増したことが、各地での救急業務導入の背景にありました。救急車なんてとても珍しかった時代、市民にその存在を知らせるために、新聞や電車内に広告やポスターを出したり、立て看板の設置やビラ配りを行ったりして告知に力を入れたといいます。

市松模様の救急車も登場?

 救急医学はめまぐるしく進歩し、急病人や怪我人を安全かつ迅速に運ぶ救急車も、一般の車を改造していた黎明期とは比べ物にならないほど進化を遂げています。現在稼働する救急車の中で圧倒的なシェアを誇るのが、1991年の救急救命士制度の施行に合わせて導入された高規格救急車です。従来の救急隊員は止血や酸素吸入などの応急処置しかできませんでしたが、救急救命士制度によって、救急車の中でも医師の指示を得ながら救命行為が行われるようになりました。そのため、高規格救急車には高度な救急救命器材が備え付けられ、車内で隊員が活動しやすいように室内も広く設計されています。近年はより小回りのきく車両で高規格救急車並みの装備を搭載したものや、隊員の安全性を考慮して照明や視認性に優れた反射材をデザインした救急車がトレンドで、赤と白の市松模様で救急車の存在をアピールする車両も登場しているそう。

「火のよ〜じん!」の始まりとは

 毎年、この時期になると「火のよ~じん!」と地域の消防団による夜回りの声が聞こえてくることがあります。この「火の用心」というかけ声、いつから使われているのでしょう。
 記録上もっとも古く、またよく知られている火の用心は、16世紀後半、徳川家康の家臣・本多重次が戦地から家族へ送った手紙の中で「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」と書かれていたものとされています。江戸時代に入ると日頃の防火対策として「火の用心」のお触れが出されるようになり、夜番・夜警による夜回りも始まったとか。「火の用心 マッチ一本 火事の元」「戸締り用心 火の用心」など時代や地域によって特色がある火の用心のかけ声。ひと昔前のTVコマーシャルでは「火の用心 焼肉焼いても 家焼くな!」なんてかけ声があったことを覚えている人もいるのでは?


総務省消防庁が毎年発行している消防白書によれば、全国で年間3万件以上発生しているという火災。意外にももっとも火災が多い時期は、冬ではなく3〜5月の春だといいます。まだ暖房器具を使う機会が多いほか、林野火災が増加するのもその原因にあるようです。寒さが厳しくなるこれからの時期はもちろん、どんな季節であれ、しっかりと火の用心をして過ごしていきたいですね。

参考文献(順不同)
魚谷増男『消防の歴史四百年』(全国加除法令出版)/鈴木淳『町火消たちの近代 東京の消防史』(吉川弘文館)/後藤一蔵『消防団―生い立ちと壁、そして未来―』(近代消防社)/『日本の消防車2019』(イカロス出版)/『Jレスキュー 2018年9月号』(同)/総務省消防庁(ホームページ)/東京消防庁(同)/一般財団法人消防防災科学センター(同) 等

  • 1
  • 2

Traceおすすめの関連商品

  • [電子書籍]【全1-20セット】め組の大吾
  • [Book]啓火心 (双葉文庫 Fire's Out)
  • [Book]ニッポンの歴代はしご車BEST100 消防の花形・はしご車の歴史が全部わかる! (GEIBUN MOOKS)
  • [Book]おさるのジョージしょうぼうしゃにのる
ハイブリッド総合書店 honto

ハイブリッド総合書店 honto

hontoなら紙書籍と電子書籍を同時に探せるほか、カードのポイントに加えて丸善/ジュンク堂/文教堂でも使えるhontoポイントが貯まります!最速で24時間以内に出荷、首都圏へは最速注文当日のお届け。 ※旧サイト名:オンライン書店ビーケーワン

倍増TOWN 経由でハイブリッド総合書店 hontoをご利用いただくと NTTグループカードご利用ポイントが4倍!(2018/12/20現在)

※倍増TOWNのご利用にはMyLinkへのログインが必要です。 ※一部ポイント加算の対象外となる商品・ご注文がございます。詳しくはこちら

※別途送料がかかる場合がございます。 ※掲載の商品は、在庫がない場合や予告なく販売終了する場合がございます。あらかじめご了承ください。 ※価格は変動の可能性がございます。最新の価格は商品ページでお確かめください。 ※商品の色はご覧頂いている環境によって実際の色とは異なる場合がございます。

PageTop