トップページ > 特集 vol.69 ニッポンの火の用心

ニッポンの火の用心

空気が乾燥するこの時期はもちろん、いつも私たちが安心して暮らせるのは、いざというときに火災などの災害と命がけで戦ってくれる消防隊員の活動があってこそ。その存在は当たり前のように感じてしまいますが、実は、日本で消防組織が本格的に結成されたのは江戸時代になってからなのだとか。知られざる消防の世界を今回は紐解いてみます。

日本初の消防組織誕生!!

日本で消防組織が本格的に結成されたのは、「火事と喧嘩は江戸の華」といわれるほど火災が多かった江戸時代のこと。平安時代には宮殿を火災から守る禁裡火消(きんりひけし)が設置されていましたが、一体どんな組織だったのか、その実態は定かではないようです。
 江戸の初期から中期にかけて整備されたのが「火消制度」と呼ばれるものです。当初は大名や旗本のもとから招集された人々が江戸城内や武家屋敷、神社仏閣など幕府にとって重要な拠点を火災から守る活動が主で、「奉書火消」「大名火消」「常火消」と名前や体制は変わっても、町民にはあまり縁がありませんでした。
 しかし、大名屋敷が檜皮葺や本瓦葺、一般家屋が板葺き、藁葺き、茅葺きの時代。人口の増加で町の構造も複雑になり、一度火災が起こると大火になることが多かったため、江戸時代中期の江戸の町奉行・大岡越前守の命令で、町内の大家や商人のもとで働く店子や出入りの大工、左官、鳶職ら職人を駆り出した「店火消(たなびけし)」が組織され、やがて、店単位から町単位で人を集める「町火消」に発展します。この町火消が庶民のための消防組織として江戸の町を支え、消防組を経て現代の消防団につながるのです。

世界初の消防は救助マットも装備!!

 記録に残る世界最古の消防組織は、ローマ帝国初代皇帝のアウグストゥスがつくったものとされています。もっとも、それ以前から神殿を火災から守る組織がありましたが、紀元前17年のローマ大火を機にアウグストゥスが結成したこの消防隊は、一隊が500人、一説には1000人ともいわれる本格的な規模でした。当時から隊員の存在が重視されていたことがわかるのが“待遇面”です。隊員がローマ市民でない場合、5~6年勤務すると市民権が与えられたそう。軍隊では25年間の勤務が必要だったといいますから、かなりの差があることがわかります。
 消防隊は街の周辺に見張り台ややぐらを造り、夕方から朝まで警戒を続けました。装備はバケツや牛腸からつくったホース、はしごのほか、高い建物から飛び降りる人の救助マット代わりにする大きな枕や車輪付きの水の噴出器、サイフォンの原理を利用して水を移動させる消火装置なども用意されていたそう。ほかの地域では中世まで“バケツ消火”に頼っていたようですから、古代ローマは進んだ消火技術を持っていたんですね。

防火対策は島流し……

 さて、家々が密集している大都市は大火の脅威に常にさらされているからこそ、世界有数の大都市だった江戸では消防が発展したわけですが、そもそも江戸より前の時代の火災対策とはどんなものだったのでしょう? 江戸以前には大火災につながるような大都市がなかったことや、たとえ焼失しても代わりの建物をつくりやすかったことなどから、消火方法は現代の感覚からするととてもシンプル。桶などの容器に水を汲んで消火したり、まわりの建物を壊して延焼を防ぐ“破壊消防”が主だったそう。
 また、未然に火災を防ぐために、火災を起こした人へ重い刑罰を与えることも古くから行われていました。例えば奈良時代の律令には、放火をした者は盗賊と同じく打殺するという決まりがあったとか……。鎌倉幕府では火災がひんぱんに起こる時期に町内の警戒を厳重にして、夜はかがり火をたいて出歩くことを禁じるなど、それなりの防火対策も取られていましたが、田畑を焼いた人はむち打ちの刑、役所や倉庫を焼いた人は強制労働、そして宮城や神社を焼いた者は島流しと厳しい刑罰が定められていました。

偉い人が来たらお店は休業!!

 江戸時代にも火事にまつわるさまざまなお触れがありました。例えば火災現場への出入りの禁止。現場に出入りできるのは親類や家の者に限られて、活動を妨げる野次馬を避けていたそう。ごみの焼却や2階での火の取り扱いの禁止、町中での花火の打ち上げや販売も制限されていたほか、午後6時以降には風呂屋が風呂を焚くこともダメだったといいます。風呂屋のように火を扱う商売には特に厳しく、風が激しいと風呂屋は一日休業、うどん屋やそば屋など火を持ち歩く商売も営業できなかったようです。
 外国から使節が来たときは、それ以上に大変。「いついつに使節が来るから火の用心をしろ」と滞在中はもちろん、使節が来る前からお触れが出され、ある時には「火を扱う商売はすべて休業しろ」といわれたことで大騒ぎになったとか……。

独身者はつらいよ?

“独身者”も当時はなかなか肩身が狭かったようです。風が吹き乾燥するような時期には、独身者が稼ぎに出るときには家主に届け出て、彼らの立会のもとで火の元を入念にチェックし、特に天候が荒れている日には仕事にすら行けなかったとか。この独身者への風当たりの強さは、稼ぎに出たあとに火災になったケースが多かったことが原因だといいます。

竜が水を吐く!?江戸の消火活動

 工業化以前の江戸時代の消火活動も、周囲への放水や、破壊によって延焼を食い止め鎮火させることが主流でしたが、一方で、この時代ならではの発明品も投入されました。例えば、江戸の火消の主力道具のひとつが竜吐水(りゅうどすい)です。これは、オランダから輸入されたポンプを参考にした手動のポンプで、空気の圧力を利用して水箱に入れた水を高く上げる仕組みのもので、木筒から水が出る様子が“竜が水を吐いている”ように見えたことから命名されました。一説には18世紀中頃の長崎で発明され、明治時代に入っても活躍していたそう。また、飛び火を防ぐために使われていたのが水鉄砲です。水鉄砲の登場までは、屋根に上って動き回ったり大きなうちわを使ったりして気流を乱していたといいます。

火消の原動力となった纏

 出初め式で見かける纏(まとい)も、火消のシンボルとして欠かせない道具でした。戦国時代、武将の旗印だった纏は、江戸時代になると火元に駆けつけた火消たちの目印として使われるようになります。武士にしか認められていなかった纏ですが、町火消の整備に伴って、彼らの士気高揚のため大岡越前守が使用を許可し、それが纏の名誉にかけて危険を顧みず消火に当たる原動力になったそう。江戸の町火消は48組(当初は47組)それぞれで、地域と縁のあるものや大名の紋所を纏にあしらっていましたが、なかでもユニークなのが「い組」の纏。芥子の実に枡を型取った見た目で、「芥子枡の纏(消しますのまとい)」と呼ばれていました。


明治時代になると、消防は新たに発足した警察機構の所管となり、昭和初期には各都市で警察から府県知事の監督下に置かれるようになります。太平洋戦争終結後は、明治以来警察機構に内包されていた消防が完全に独立し、現在のような自治体消防制となりました。次のページでは、そんな明治以降の消防にまつわるトリビアを紹介します。

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