トップページ > 特集 vol.59 愛され続ける西郷隆盛

愛され続ける西郷隆盛

歴史上の好きな偉人というアンケートを取ると、必ず上位にランクインするのが西郷隆盛です。2018年の今年は明治維新から150年、1月からはNHK大河ドラマ「西郷どん」がスタートし、書店にも多くの“西郷本”が並んでいます。新しい日本の国づくりに奔走した薩摩生まれのヒーローに脚光が当たるいま、数々のエピソードの中から人々に愛され続ける西郷さんの魅力に迫りました。

「西郷どん」ってどんな意味?

 NHK大河ドラマのタイトルにもなっている「西郷(せご)どん」。これは鹿児島弁で「西郷殿」という意味で、尊敬と愛着を込めて鹿児島の人がよく使う西郷さんの愛称です。愛称といえば、西郷さんには「うどさぁ」というあだ名もありました。こちらは鹿児島弁で「大きい人」という意味。武士の平均身長が160cmに満たなかった時代に、西郷さんは身長180cm、体重は100kgを超えていたという説もありますから、見た目も人間の器も大きな西郷さんにはぴったりのあだ名ですね。
 実は、西郷さんの名前は、実名、通称、号などを合わせると20近くにもなるといわれています。西郷さんの幼名は小吉、通称は吉之介、善兵衛、吉兵衛、三助、吉之助と変わったほか、島流しの際にも名前を変えていました。また、号(雅号)は西郷さんの遺訓集『南洲翁遺訓』のように南洲がよく知られていますが、止水という号も使っていたようです。

本名は「隆盛」ではなかった!!

 武士の本名である諱(いみな)。西郷さんの諱はみなさんご存じの「隆盛」ですが、実はこれ、西郷さんの父親・吉兵衛の諱なんです。なぜ父親のものを名乗っていたのかといえば、明治政府から西郷さんの名前を知りたいと問い合わせがあった際、西郷さんの代わりに友人の吉井友実が「隆盛」と誤って回答してしまったことが発端なのだとか。もともと西郷さんの諱は「隆永」でしたが、小さなことにこだわらない懐の深い性格だったからか、はたまた父親への尊敬の念からか、西郷さんは「隆盛」という名を使い続けました。

子どもの頃から身体も器も大きかった!?

 子どもの頃から身体が大きかった西郷さんですが、人としての器の大きさも当時から片鱗をのぞかせていました。それを示すエピソードとして有名なのが、西郷さんが11歳の時に起こったある出来事です。
 ある日、友人と出かけていた西郷さんは、帰り道でほかの集落の少年から難癖をつけられ、ケンカに巻き込まれました。西郷さんは鞘に差したままの刀で叩いてくる相手から必死に身を守っていたものの、はずみで鞘が割れ、右腕の筋を刀で斬られてしまったのです。当時は「刀を抜いたら理由を問わずその場で切腹せよ」といわれていた時代。この出来事が大事になってはケンカ相手が切腹することになると考えたのか、西郷さんは周りに悟られないように自分1人で手当てしようとしたとか……。
 強い薩摩藩士に憧れて剣術の稽古に励んでいた西郷さんですが、傷は深く、痛みと高熱に数日間さいなまれ、刀が振れない身体となってしまいます。しかし、そこから学問で身を立てることを決意し、勉強に没頭するようになったのです。

悲しい出来事の数々があの名言を生んだ

 16歳で藩の郡方書役助(農村を回って年貢を見積もる書記の助手)となった西郷さん。やがて藩主の島津斉彬公に見出されて藩政に参加し、尊皇攘夷運動に奔走するようになります。そんな西郷さんに大きな悲劇が訪れたのが30歳の頃。西郷さんが忠義を尽くして仕えていた斉彬公が急逝してしまうのです(当時流行していたコレラが原因という説もあります)。西郷さんは斉彬公の墓前で死ぬことを覚悟しましたが、それに気付いた京都・清水寺の月照上人の説得により思いとどまることに。
 しかし、悲劇は再び起こります。今度はその月照上人が安政の大獄で幕府から追われる身となり、藩から日向送りを言い渡されてしまうのです。日向送りとは薩摩古来の慣例で、薩摩との国境を出ると同時に処刑するというもの。西郷さんは日向に向かう月照上人とともに船に乗り込むと、2人で錦江湾(鹿児島湾)に身を投じました……。
 同乗者に救われて西郷さんは奇跡的に蘇生しますが、月照上人は帰らぬ人となり、西郷さんも名前を菊池源吾と改名し、奄美大島へ潜居を命ぜられます。約3年間の奄美生活を経て鹿児島に戻っても、藩の実権を握っていた島津久光公との意見の食い違いから怒りを買い、徳之島、沖永良部島へ再び島送りにされるのです。
 当時の沖永良部島は死罪に次ぐ重罪人が流されるほどの孤島。当初は戸も壁もない格子だけの些末な牢舎に入れられて衰弱していった西郷さんですが、島の役人の尽力で新しい牢に移ることができ、そこで島の子どもたちに読書を教え、自身も精神修養に努めます。沖永良部島でそれまでの自分と向き合うことで、思慮深く強い意志を持った人物へと成長し、座右の銘となる「敬天愛人」(天を敬い、自分を愛する気持ちで人をも愛する)の思想も培われていったのです。

犬には蒲焼き、主人には大金を

 豚肉にうなぎ、フルーツは鹿児島特産の文旦、甘いものはかるかんが好きだったといわれる西郷さん。なかでも西郷さんの人柄がよく表れているのが、西南戦争が終結して間もない頃、大坂日報(毎日新聞の前身のひとつ)に掲載された西郷さんとうなぎ屋のお話です。

 西南戦争が起こる前年のある日、1人の大男が犬を連れてうなぎ屋を訪れ、蒲焼き2人前を注文しました。男はそれを少し口にすると残りはすべて犬に食べさせ、「お金は飯びつの下に置いた」と言って立ち去ります。そこで、店の主人が半信半疑でお金を探してみると、飯びつの底には10円紙幣が張り付いていました。警視庁の巡査の月給が6〜10円という時代ですから、10円はかなりの大金です。慌てて男の行方を捜した店の主人は、あの大男が西郷さんだったと知り、屋敷に行ってお金を返そうとします。しかし、西郷さんは「日頃から藩の若い者が世話になっているから」とお金を受け取りませんでした。

 うなぎは犬にあげて、大金を残して立ち去るという話は、ほかにもいくつかあるようです。西郷さんの愛犬家っぷりが感じられますが、気になるのがなぜ大金を残していくのかということ……。西郷さんは戊辰戦争後に明治政府から永世賞典禄(恩賞)を与えられ、陸軍大将時にもかなりの額の給料をもらっていました。鹿児島に下野しても財産がまだまだある中で、「自分は税金をもらって生活している身分だからこそ、いただいた金は庶民に返すべきだ」というポリシーがこうした行動に貫かれていたのかもしれません。

西郷さんは星になった?それともロシアへ密航!?

 坂本龍馬、長州藩の木戸孝允らと団結し、戊辰戦争で幕府軍を追い詰めた西郷さんの活躍はみなさんご存じのとおりですが、その後、西郷さんは明治政府で征韓論をめぐる対立に敗れて鹿児島へ下野し、日本最後の内乱と呼ばれる西南戦争を率いて悲しい最期を迎えます。そんな西郷さんの死後、日本各地で「西郷さんが夜空に見える!」と大騒ぎになったことがあるんです。
 西郷さんが城山で自刃したのは明治10(1877)年9月24日ですが、ちょうどその頃、地球に火星が接近して夜空にひときわ大きく光輝いていました。人々はその明るい星を「西郷星」と呼んで、望遠鏡でその星を覗けば軍服姿の西郷さんが見えるというウワサまでささやかれるようになったとか。ほかにも「西郷は死なずにロシアに渡った」「シベリアで軍事訓練を指揮している」「いや、中国に潜伏している」といったウワサが流れ、西郷さんの日本脱出ルートや潜伏先を伝える新聞報道まであったといいます。死してもなお、人々から注目を集める西郷さんの人気ぶりがよくわかるエピソードといえそうです。


西郷さんの人となりを表すエピソードは枚挙にいとまがありませんが、次ページでは現代の私たちにもなじみがある、“あの西郷さん”の秘密にも迫ってみます!

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