トップページ > 特集 vol.36 日本の城づくり

日本の城づくり

「城ガール」という言葉もポピュラーになり、老若男女を問わず人気を集める日本の城。今回の「Trace」では日本のものづくり精神が息づく“城づくり”について、迫っていきたいと思います。城づくりにはどんな人が関わっていたのか。そして、細かいところにまで込められた職人芸とは?

「天守」が出現したのは戦国末期?

 城と聞くと、空に向かってそびえ立つ「天守」を思い浮かべる人も少なくないのではないでしょうか。しかし、ひときわ目につくあの高層建築物が世に登場するのは、戦国時代末期のこと。織田信長が建造した安土城が、大規模な天守の始まりといわれているんです。では、それまでの城がどんなカタチをしていたのか。城の変遷をまずは見ていきましょう!

弥生〜平安時代 城の始まりは堀で囲んだ集落

 日本の城の始まりは、人々が集落をつくるようになった弥生時代。自分たちの集落を守るために、集落全体を堀や土塁で囲んだ「環濠(かんごう)集落」が起源といわれています。
 その後、飛鳥時代には唐や新羅の来襲を警戒し、土塁や水堀などの城壁で山を囲む「朝鮮式山城(やまじろ)」が、北九州や瀬戸内沿岸で築かれました。奈良・平安時代には、都の周辺に城壁をめぐらせた「都城(とじょう)」や、朝廷が東北統治のための拠点を土塀の一種である築地(ついじ)や木柵で囲み、物見櫓(やぐら)を要所に配置した「城柵(じょうさく)」が現れました。


鎌倉〜室町時代 山から丘陵地へと変化

 中世には多くの城が築かれましたが、その大部分は山の上に築かれた規模の小さな「山城」。城とはいえ、城主は山城の中に住むのではなく、多くの場合は山の麓や別の平地に設けた居館で生活していたといいます。ただし、室町時代後期になると戦乱の恒常化により、山城の中に居館を移すケースも増えたのだそう。そして、戦乱が激しくなった室町末期には、強大化した軍勢を収容するために広大な敷地が必要となり、山城から丘陵地を利用した「平山城」や、平地を開いた「平城」を築くようになったのです。


安土桃山〜江戸時代 近世城郭隆盛へ

 信長の安土城にならって大坂城を築いた豊臣秀吉が諸大名に築城工事を命じたことで、本格的な近世城郭が各地で築かれるようになります。そして徳川の時代になると、一国一城令や武家諸法度により築城は制限され、改修・修復も幕府の許可を得なければならないほどに。ただし、地域によっては政略上の都合から築城を許していたほか、天下普請(てんかぶしん)により史上最大規模の天守を持つ大坂城・江戸城も再建されます。
 日本の城に新たな風が吹くのは、幕末になり外国船が来航するようになってから。海防強化のため各地の海岸に砲台が設けられ、箱館(函館)には西洋軍学に倣い、大砲に対抗できる星形の稜堡(りょうほ)式城郭・五稜郭が築かれるのです。

城づくりに関わるキーパーソンとは?

 さて、ここからは“城づくり”にスポットを当てていきたいと思います。城づくりのキーパーソンは実にさまざま。

城主(大名)……文字通り「城の主」であり、城づくりにおける施工主

奉行……工事の総指揮官である総奉行(年寄)をはじめ、土木工事を取り仕切る普請奉行、櫓や長屋、天守などの建築工事を管轄する作事奉行など、それぞれの部門の責任者

軍師……風水なども取り入れながら、城の立地や設計(縄張)を考える専門家

 上で挙げた以外にも、宮大工の技術を持った城大工や、石垣積みを主とする穴太(あのう)衆などの職人集団が城づくりには欠かせませんでした。いかに有能な匠たちを集められるか、城主は手腕を問われていたようです。

宮大工の誇りが込められた日本の城

 城にはしばしば、お寺や神社の建築様式が見られます。お寺の窓の形としてポピュラーな「華灯窓(かとうまど)」や、神社の屋根や軒先に設けられる「唐破風(からはふ)」などがその一例。これは、神社や寺院の建築に携わってきた宮大工が、城の建築にも携わっていたから生まれたもの。日本の職人芸の粋を集めているからこそ、単なる軍事的な建物にとどまらない魅力を生み出しているんです。

城づくりのポイントは立地と縄張

 城づくりは「城をどこに築くか?」という「地選(ちせん)・地取(ちど)り」から始まります。兵力が少ない場合は自然の地形を利用できる山城、兵力が多い場合は丘陵地や平地に城を築くことが基本で、戦火が激しくなればなるほど、多くの兵力を収容できる平山城や平城が選ばれるようになります。また、領国のすみずみまでしっかり目を配れるよう、交通の要衝を押さえて城を築くことも重要でした。
 城の設計は「縄張」と呼ばれ、城の中心で天守が建つ本丸や、それに次ぐ二の丸、三の丸などの区画(曲輪〈くるわ〉)を決めたり、堀や石垣、櫓、城門などの形式や配置も考えられました。軍事拠点である城を築く上で、縄張は領国の存亡に関わる大切なもの。ちなみに、「縄張」という言葉通り、敷地内に実際に縄を張って、建物の区割りを決めていったのだそう。

防衛の要は堀・石垣づくり

 縄張や曲輪が決まると、次に行うのが堀を削り石垣を築く土木工事。これは「普請(ふしん)」と呼ばれ、築城工事における大切な工程のひとつでした。
 中世までは山城が多かったことから、水のない「空堀」が多かったものの、城が平地に築かれるようになると、堀のなかに水を引き入れた「水堀」が主流になります。重い鎧(よろい)をまとって泳ぐことさえ困難なのに、それでも泳いで侵入しようとする敵兵の自由を奪うため、水堀の底には蔓(つる)を伸ばす菱(ひし)を植えることもあったそう……。また、弓矢に代わって急速に普及した鉄砲の射程に合わせ、堀の幅が広がり平らになったことから、堀の底を細かく区分けして敵兵の自由を奪う「障子堀」なども発明されます。

石垣はお化粧をしていた?

 天守と並んでファンが多い石垣。飛鳥時代末期に百済から伝わり、石垣の需要が高まるのは16世紀末のことですが、この石垣、石を積み上げたあとに表面に化粧を施していたってご存じでしたか? 積み上げられた石垣には、鉄製のノミを使って石の表面を“はつる(打ち欠く)”作業が行われていました。1センチほどの小さなはつりを施す「はつり仕上げ」と、縦方向に筋状にはつる「すだれ仕上げ」の2種類あり、特に石垣の隅の部分にくる大きな隅石の化粧は念入りに行われていたのだそう。積み上げるだけでも高度な技術を必要とする石垣ですが、細かいところまで職人の美意識が込められているんですね。


 多くの匠たちの手により、人々を惹き付けてやまない城が築かれていくんですね。次のページでも、城づくりのお話は続きます!

  • 1
  • 2

Traceおすすめの関連商品

  • 【壁掛】万年歴 日めくりカレンダー 日本の名城31 C−045
  • ペーパーナノ PN101 姫路城
  • 箔一 金沢芸妓シリーズ 金沢城公園 石川門 50枚
  • エーゾーン KI-GU-MI 姫路城
東急ハンズ

東急ハンズの公式通販サイト! 10万点の品揃え!

キッチン用品、健康・美容雑貨、DIY、インテリアや生活雑貨、ホビー用品など豊富に取り扱っております! テレビ紹介アイテム、季節商品も盛りだくさん。入会金、年会費無料の会員登録で、東急ハンズ各店でも利用できるポイントが貯まっておトク。24時間365日ショッピングをお楽しみください!

倍増TOWN経由で東急ハンズをご利用いただくとNTTグループカードご利用ポイントが通常ポイントの3倍! (2016/3/18現在)

※倍増TOWNのご利用にはMyLinkへのログインが必要です。 ※一部ポイント加算の対象外となる商品・ご注文がございます。詳しくはこちら

※別途送料がかかる場合がございます。 ※掲載の商品は、在庫がない場合や予告なく販売終了する場合がございます。あらかじめご了承ください。 ※価格は変動の可能性がございます。最新の価格は商品ページでお確かめください。 ※商品の色はご覧頂いている環境によって実際の色とは異なる場合がございます。

PageTop