アンパンマンのテーマソングや「手のひらを太陽に」の歌詞にも見られるように、難しい言葉を使わずに本質を説くやなせたかしさんの言葉の数々は、落ち込んでいたり迷い事があるとき、特に深く心に響いてきます。ここではやなせさんの言葉のなかから、覚えておきたい名言を厳選してご紹介します。
- 「人生の楽しみの中で最大最高のものは、やはり人を喜ばせること」と語るやなせさん。人を喜ばせることができれば自分もうれしい。そんな“喜ばせごっこ”を続けることが、人生を楽しむ秘訣なんですね。
- 頼まれた仕事はなんでもこなしたやなせさんの“仕事哲学”が込められたひと言。この冒険心が、さまざまな人との出会いや新しい仕事の可能性を開き続けたのでしょう。
- 晩年は病気の多かったやなせさんですが、生きているあいだはなるべく元気に、楽しく暮らしたいと語っていました。この言葉には、何事も前向きに考え、悪い状況をも変えてしまおうとするやなせさんの生きる力が込められているといえます。
- お金も名誉もほしいと思っていた若い頃は貧しく、晩年になり体力が衰え、欲も得もなくなった頃から仕事の注文が多くなり、収入も増えたというやなせさん。何事も、真面目にコツコツやることが大切という人生の心得ですね。
- 正しい行いをしても、ほめられることはないかもしれない。やなせさんにとって正義とは、一種の悲しみがあり、かっこいいものではなかったのです。
- 老人になっても“枯淡の境地”にならず、童話の奥深さに感嘆したり、素敵な異性を見ると心をときめかせたというやなせさん。人生は、後半の方がおもしろいはず!
- 辛い、悲しいといった感情が生まれるのは自分が生きているからで、死んでしまったらそれすら感じることもできない。「手のひらを太陽に」の有名なフレーズは、長いあいだ代表作に恵まれなかったやなせさんが、自分自身を奮い立たせるために生んだ言葉といえるでしょう。
- こちらも「手のひらを太陽に」のフレーズ。上の「生きているからかなしい」は一番の歌詞、「生きているからうれしい」は二番の歌詞ですが、「うれしい」を二番目に持ってきた理由について、「かなしみはずっと続くものではなく、その後には喜びがある。幸福は不幸せでなければわからない」からとやなせさんは語っています。
- やなせさんは自著『何のために生まれてきたの? 希望のありか』(PHP研究所)で、こんなエピソードを紹介しています。ある哲学者が4歳の孫と一緒に新幹線に乗っていたところ、孫が「なんのために生まれて なにをして生きるのか」と歌い出したため、「子どもがこんなことを歌っているのは、いったいどういうことだ!」とびっくりしてしまったそう。人生における“永遠の命題”といえるフレーズだからこそ生まれた、ユニークなハプニングですね。
やなせさんはその時代時代で、自分の置かれた状況を冷静かつユーモラスな視点で批評する言葉も残しています。自分のことを「オイドル」と呼べるような元気を持ち続けたいものです!
1960年、やなせさんが「週刊朝日」の懸賞連載マンガでグランプリを取ったときの作品タイトル。「帽子」と「某氏」を語呂合わせしたもので、山高帽子を目深にかぶり、表情が判別できないキャラクターには、無名の下積み時代を長く過ごしていたやなせさんの心理が反映されているといえます。
晩年は“病気だらけ”だったやなせさんは、自分のことを「重病人」ではなく「十病人」と呼ぶこともありました。この言葉には、それだけの病気を抱えていても、自分と向き合って楽しく暮らしていこうという気力が感じられます。
老いても精力的に活動していたやなせさんは、自分のことを「老人のアイドル=老いどる=オイドル」と呼んで、楽しく仕事をしていたといいます。オイドルがもっと増えれば、日本の未来も明るい?
私たちがめざすべき正義や生き方。それをやさしくも鋭く説くやなせさんの言葉の数々に触れると、不思議と落ち込んでいた気持ちも前向きになるもの。この言葉たちを胸に刻めば、やなせさんのように毎日を元気に生きていけるかもしれませんね!