vol.8 ワインと日本人

ワインと日本人

11月第3木曜日といえば、ボージョレ・ヌーボーの解禁日。「この日を待っていた!」というワイン好きの歓喜の声が聞こえてきそうです。あまりワインを飲まない方でも「ボージョレ・ヌーボー」の名前を聞いたことがある人は多いはずです。このボージョレの話題に代表されるように、今やワインは日本人にとってなくてはならない存在。西洋文化の象徴であるワインが、どのようにして日本での地位を築き、ここまで親しまれるようになったのか? 今回は「ワインと日本人」の関係について調べてみました。

特権階級の象徴!?鉄砲とともにやってきたワイン

日本にはじめてワインがやってきたのは安土桃山時代のこと。ポルトガルから鉄砲とともに伝えられました。当時はガラス瓶が普及しておらず、木樽で運ばれてきました。熱殺菌技術もなかったことから、腐りにくくするため、中に入っていたのは現在のワインとは異なる酒精強化ワインというもの。いわゆるシェリーやポートの類(たぐい)で、ワインにブランデーなどを添加してアルコール度数を20%程度まで高めた赤の甘口ワインです。呼び名はワインではなく、ポルトガル語でワイナリーを意味するQuinta(キンタ)がなまって“珍駝(チンタ)酒”と呼ばれていました。珍駝酒は舶来品のなかでも特に珍しいものだったため、一部の大名や特権階級の方々しか飲めなかったそうです。その後、江戸時代に入ると鎖国政策がとられたため、ワインも禁輸品の扱いに。ワインも本格的に日本に広まるには、次の時代を待たなければなりません。

食の欧米化に伴い日本でもワイン解禁!

明治時代、文明開化とともに日本でもワインが脚光を浴びるようになります。政府は、鹿鳴館の大宴会や上流階級の生活に洋式を取り入れるよう強制し、食生活を欧米化する動きが起こりました。それに合わせて積極的にワインを取り入れるようになり、国をあげてブドウ栽培・ワイン醸造を本格化。全国でワイン用のブドウ栽培と醸造が推奨されたのです。特にブドウ栽培に適した土地である山梨県の動きは積極的で、1877年には日本初のワイン醸造会社「大日本葡萄酒会社」が誕生します。同社は、設立直後に2人の青年をフランスに派遣し、ぶどう栽培技術や醸造技術を持ち帰らせました。

日本ワイン発祥の地、山梨県でワイン作りが盛んなワケ?

「日本のワインと言えば山梨県」。こんなイメージを持つ人も多いのではないでしょうか。現に山梨県はワイン生産量、消費量ともに日本一。ワイナリーの数を見ても群を抜いています。この理由としてあげられるのが、ブドウがおいしく育つ環境であること。果樹作物は、降雨量が少なく、水はけのよい土地の方が栽培に適しています。その点、山梨県には土砂が堆積した扇状地があるため、いいぶどうが育ちやすいのです。そして昼夜の寒暖差が大きいことも、果物が十分な糖と酸をたくわえるのに必要な条件です。
最近、この山梨で注目されているのが、「甲州」というブドウ品種です。日本ではさまざまな品種でワインが造られていますが、ヨーロッパでは厳格なワイン法によりヨーロッパ系ブドウ品種から造られたものでないとワインとは認められません。2000年に遺伝子解析した結果、甲州はヨーロッパ系ブドウ品種であることが判明。「ワイン」としてヨーロッパで流通可能なことがわかり、高級化へ向けて品質の向上が図られています。ちなみに、甲州がヨーロッパから伝わったのは8世紀または12世紀といわれています。

戦前の日本では、「ワイン=甘いもの」と思われていた 明治以降、積極的にワイン文化を取り入れようとした日本ですが、なかなかうまくはいきません。いくら食の欧米化を進めようとしても、庶民が日常的に食べるのは日本食です。当然、ワインは食事のパートナーにはならず、酸味や渋みも日本人の口には合いませんでした。そこで、ワイン醸造各社は日本人向けのワイン開発に着手。砂糖や酒精(焼酎やブランデー)、香料などを加えた甘いワインを造り出したのです。特長として「滋養強壮」を謳い、健康にいいとアピールしたところ、たちまち話題に。各社から様々な商品が発売された中で、最も成功したのが、寿屋(ことぶきや・現サントリー)の赤玉ポートワイン(現赤玉スイートワイン)でした。品質の良さはもちろん、新聞広告で日本初のヌードモデルを使うなど、巧みな広告宣伝を展開。当時の日本人のほとんどが「ワイン=甘いもの」と思っていたほどでした。


東京オリンピック以降、7回のワインブームで日本にワインが定着

戦後しばらくは甘口の赤ワインが飲まれていましたが、東京オリンピックをきっかけに最初のワインブームが起こり、本格的な辛口ワインが飲まれるようになります。その後、7回ものブームを経て、ワインは親しまれるようになりました。
2次~4次ブームのゆるやかな動きで徐々に消費量がふえ、5次の大ブームで市場が一気に拡大。その後、一旦、落ち着くと思われましたが、6次~7次ブームの健闘で、大きく落ち込むこともなく現在に至っています。その流れを追ってみました。

1964年 洋食店にフランスの本格的ワインが置かれる

最初のワインブームのきっかけとなったのが、東京オリンピック。海外からお客様を招くにあたり、食の欧米化を進めようと洋食レストランに本格的な辛口ワインが置かれることに。戦中・戦後はドイツが同盟国であったことから、輸入ワインといえばドイツワインでしたが、ここから世界的No.1であるフランスのワインが輸入されるようになりました。ただ、輸入ワインは高額であったため、ブームに乗ったのは一握りの人。家庭に辛口ワインが登場するのはもう少しあとになります。


1978年 1000円ワインブームで食卓にワインがのぼりはじめる

1981年 安くてたくさん飲める一升瓶の地ワインがブームに

1987年〜90年 ボージョレ・ヌーボー&高級ワインブーム

軽やかでチャーミングな味わいとPRのうまさでボージョレ・ヌーボーが人気に。また、バブル景気を背景に、ボルドーやブルゴーニュの高級ワインが飲まれるようになりました。ちなみにこの頃、ボルドーの5大シャトーのワインでも1本5~6000円で購入できました。現在は少なくとも、10倍以上の価格になっているので、この十数年でワインが高騰したことがわかります。


1997年〜98年 ポリフェノールが注目され、赤ワインがブーム

きっかけは95年に日本で行われた世界最優秀ソムリエコンクールでの田崎真也さんの優勝。ヨーロッパ文化の代表であるワインの世界で日本人が優勝したことは、世界に衝撃を与えました。そして、田崎さんの優勝により、ワインに注目が集まったところで、お昼のテレビ番組で、“ポリフェノールが体にいい”と世間に周知されます。そこで、赤ワインが、ポリフェノールが多い飲料の筆頭として知られ、ワイン市場が爆発的に拡大しました。


2008年〜09年 リーマンショックの不景気が“ウチ飲み” 市場を開拓

アメリカで起きたリーマンショックは、世界的な不況をもたらし、嗜好品であるワインの市場は縮小すると思われました。しかし、不景気は外食の機会を減らしましたが、内食の流れをつくり“ウチ飲み”という市場を生みます。その結果、低価格帯ワインの消費量が伸び、輸入総量そのものがふえました。


2013年 好景気ムードで食卓ワインの価格帯が上昇

一気に広まった家飲み用ワイン。昨今の好景気ムードによって消費者が購入する価格も1500~2000円と上昇しています。食卓にワインがのぼり、安さだけでワインを選ばなくなった今。日本人がワインのおいしさに目覚めるのはこれからなのかもしれません。

次なるワインブームのキーワードは?

近年、野菜などの生鮮食品の「顔の見える化」が進んでいます。店頭の野菜の上には生産者の写真やPOPが並んでいるのを見たことがある人も多いのではないでしょうか。実はこの「顔の見える化」は、ワインでいち早く普及したものなのです。90年代半ばに、ヴィノスやまざきという小売店がフランスワインの直輸入を行ない、生産者の顔とひと言コメントを載せたPOPで店舗を覆いつくしました。同社専務の種本祐子さんが、はじめて無名産地を訪ね、有名産地ばかりでなく、生産者のことも紹介したくなったのがそのきっかけ。その後、他の生鮮食品にその波が広がっていきました。現在ワインの「見える化」は一層進歩しています。インターネットで生産者のコメントが聞けたり、来日イベントもあるなど、ワインの造り手は消費者により身近な存在になっています。あなたもお気に入りの生産者をみつけて、ワインを購入してみてはいかがでしょうか?


舶来物として珍重されたことから歴史が始まった「ワインと日本人」。その後、意外にも滋養強壮品として欧米とは別の進化を遂げたのち、いくつかのブームによって、日本人の生活に定着していきました。次のページでは、そんな歴史の中でのさまざまなトリビアを紹介します。

Page 01 02 03
prev next
Pagetop