世界を見ると、登山人口が多い国はドイツ、イギリス、イタリア、日本と非常に限られています。特に日本はレジャー登山の人口が群を抜いて多く、まさに「登山大国」と言っても過言ではありません。これは比較的緩やかで、歩きながら植物や多彩な山岳景観を楽しめるという日本の山ならではの特性があるため。世界的に見ても、日本は非常に恵まれた登山環境だそうです。では、日本の人々は、いつから山に登るようになったのでしょうか。
登山の歴史を見ていくと、古くは縄文時代にまで遡ります。場所は八ヶ岳周辺。この山麓一帯では、縄文時代の遺跡が多数発見されています。当時の八ヶ岳山麓は鹿やイノシシが多く、食糧に困ることはなかったそうです。それにも関わらず、八ヶ岳連峰の南端にある編笠山の海抜2400メートル付近で、縄文人が足を踏み入れた証拠とも言える黒曜石の鏃が発見されたのです。この付近は山頂にも近く、鹿やイノシシなど狩猟の対象となる動物もいません。この発見は、縄文人が狩猟目的以外で、山に登っていたことの証拠でもあるのです。私たちが好奇心に従って、知らない土地に降り立ったときのような心境で、縄文人も山に入っていったのかもしれません。
7世紀後半から8世紀後半の人々の生活を記した「万葉集」の中には、登山を楽しむ人たちの様子が多数描かれています。
山は当時の人たちにとって、絶好の遊び場であり、デートスポットとして機能していたことがわかります。まさに、生活の一部だったようですね。中でも、筑波山に関する歌は多く詠まれており、人気のスポットだったことがわかります。現代で言うと、夜景の見える場所で愛を語り合うようなイメージでしょうか。「とっておきの景色を見せてあげたい」という想いは、今の男性にも通じるものがありますね。
江戸時代になると、富士山信仰が盛んになります。その起爆剤となったのが、各地方に作られた「講」という集まりです。講とは、同一の信仰を持つ人々の集まりで、各地方で組織されていました。講では毎年積み立てを行い、そのお金で代表の数名が登山に行くことができました。例えば、ある街の富士講では、毎年決まったルートで、決まった宿に泊まり…といった具合で旅を行います。さながら、現在のツアー旅行のようなものです。表向きは信仰のためと言われていますが、道中の色街に立ち寄ったりと、レジャー的な要素も強かったようです。
上記の「講」にも通じますが、当時は信仰のための登山が一般的でした。そのため、信仰登山が許されるのは修験の作法に従い、精進潔斎を行った人のみに限られました。しかし、江戸時代も後期になると、こういった縛りも緩くなり、楽しむための登山が増えていったそうです。当時の人々は、現代のように、全国各地に出向くことも少なかったため、上記の「講」のような遠出は、今で言う欧米圏への海外旅行のような大イベントだったのです。
近代登山以前にも、日本人にはレジャーとしての登山を楽しむ習慣があったんですね。きっと、近代登山に三度もブームが訪れているのは、日本人に“山を楽しむ好奇心旺盛なDNA”が受け継がれている証明なのでしょう。
今、たくさんの若者が山に向かい、さらには富士山が世界遺産に登録されるなど、登山はかつてないほどの盛り上がりを見せています。すでに、登山を愛してやまない方も、「今年こそ登山デビューを」という方も、この夏は「人は、なぜ山に登るのか?」を話題にしながら、山を登ってみてはいかがでしょう。
現在東京学芸大学教授・理学博士・自然地理学、地生態学を専攻。自然を多角的に見つめる山の自然学を提唱し、2003年NPO団体「山の自然学クラブ」の設立に参加。2001年に発行された「登山の誕生」(中公新書)の著者。