ラジオの魅力

現在、J-WAVE「JK RADIO TOKYO UNITED」の金曜日のナビゲーターを担当。さらに4月からは新番組「KIRIN ICHIBAN SHIBORI ONE AND ONLY」をスタートされたジョン・カビラさん。人気ラジオナビゲーターが考える、ラジオの魅力を伺いました。

―ジョン・カビラさんとラジオとの最初の出会いはいつだんでしょうか。

小さい頃は普通にリスナーとして楽しませてもらっていました。大石吾郎さんの「コッキーポップ」や米軍放送のチャーリートゥーナー、小林克也さんの番組なども聴いていました。ただ、ヘビーリスナーというワケではなく、普通にラジオがそこにあって、聴いていたという感じですね。

―社会人のスタートはレコード会社勤務でした。どういういきさつでラジオの世界に入ることになったんでしょうか。

J-WAVEが開局するにあたり、関係者の方にお声がけいただいたのがきっかけです。ただ、なぜレコード会社の社員にラジオDJの打診があるかってことですね(笑)。これには3つの理由がありまして。ひとつは、当時レコード会社の社員としてテキサスで行われたNAB(National Association of Broadcasters:アメリカの放送局団体)のラジオコンベンションに参加したことです。FMヨコハマの方の随行員兼通訳として行ったのですが、ここでアメリカのラジオ最新事情を学ぶことができました。もうひとつは、TBSラジオのイングリッシュDJコンテストに出場したこと。これも偶然で、会社の先輩が勝手に「カビラ君、応募書類出しといたからデモテープちょうだい!」って(笑)。それで優勝してしまったんです。さらに、お世話になっていた会社の先輩から頼まれて、当時バイリンガルを中心に制作をしていたFMヨコハマの番組のお誘いを受けました。先輩から「カビラできるんじゃない?」と言われ、お世話になった方のために一肌脱ごうと思ったのがきっかけです。お声がけいただいた際、ちょうど仕事で燃え尽き症候群になっていまして、次の職を探そうとしたタイミングだったんですね。偶然が積み重なって、ラジオの世界に入ることになったんです。

―1988年秋、J-WAVE開局のタイミングでナビゲーターになりました。その時はどんな心境だったのでしょうか。

生放送は未体験だったので、編成の皆さんは冒険してくれたと思います。自分なりに暗中模索しつつ、乗り切っていましたね。本当、その時のディレクター、プロデューサーの皆さんに支えてもらったというのが、素直な思いです。

―その後も、長きに渡りラジオのナビゲーターとしてご活躍されています。ジョン・カビラさんがラジオをやっていて一番嬉しいと思うのはどんなときですか。

そうですね。受け手にポジティブな影響を及ぼすことが出来たときが一番幸せですよね。例えば、私が英語でインタビューしているのを聴いて「英語が話せるようになりたいと思って留学しました!」というメッセージを頂いたり、それで「帰ってきたら、まだ番組やっていたんで嬉しいです」とか言われると、スゴく嬉しいですよね。他にも、小学生から聴いていましたなどなど。僕らの知らないところで、その人の人生に少しでも関与できていたら、これ以上の幸せはないと思います。

―そんな中で、ラジオが他のメディアと決定的に違うなと思う部分は何でしょうか。

パーソナルなメディアということですね。テレビは「対、皆さん」、ラジオは「対、あなた」のメディア。視聴環境も基本的にはパーソナルだと思うんですよね。演者とリスナーとの関与が他のメディアよりも深い気がします。 最近、スウェーデンの音楽のストリーミング配信サービス「Spotify」がラジオのライバルになるのではと話題になっていますが、どんなに聴取環境が変わっても生放送の声がなくなることは想像し難いですね。キュレーション(編集)をすることとや、人間の味が介在することは大きな魅力です。それに、同じ話し手がずっと放送を行っている安心感もありますよね。その話し手をまるで知り合いのように感じることができるのは、ラジオの魅力です。

―ジョン・カビラさんが放送に臨む上で最も大事にしていることとは何でしょうか。

とにかく一緒に楽しんでもらいたい、とそれに尽きますね。僕が自分で思う、話し手として唯一の長けている部分と言えば、何かを面白がることだと思っているんです。自分が面白いと思ったもの、事象をいかに面白がってもらえるか? ということを意識した上で、明るく、楽しく、わかりやすく、放送することを心がけています。

―ジョン・カビラさんにとって、ラジオとはどういう存在ですか。

僕の知らない一面を見つけてくれる場所です。レコード会社にいた頃は、自分がグラミー賞やオスカーの授賞式の司会をやるなんて夢にも思っていませんでしたが、その扉を開いてくれたのはやはり“ラジオ”でした。僕は、あまり自分から何をやりたい、という欲はなく、むしろ常にラジオが僕を待っていてくれたと思います。いつも、僕の新たなドアをノックしてくれて、知らない魅力を引き出してくれました。ラジオというナビゲーター(航海者)が、僕をどこに連れて行ってくれるんだろうとワクワクしています。

―最近ラジオから遠ざかっている人も含めて、最後にTrace読者に向けてメッセージをお願いします。

皆さん、必ずお好みの番組があると思います。時間と労力を惜しまず、(ラジオを聴くことは)指先で押すだけでもできるので、ぜひ検索してもらえればと思っています。例えば、ラジオの番組名、もしくは出演者名、Twitterで検索するだけで、何かしら盛り上がっていることがありますし、炎上していることだってありますからね(笑)。ラジオの中には自動車だってアートだって、興味の数だけ、どこかにひっかかる番組があります。ぜひ、指先の労を惜しまずにラジオの世界を覗いてみて下さい。

1958年11月1日沖縄県生まれ。1988年J-WAVE開局と同時にナビゲーターに転身。数々の人気番組を担当。マイケルジャクソンの追悼番組や、2012年J-WAVEの電波が東京スカイツリーに送信所を移転した際の第一声を発するなど、数々の記録に残る放送を行う。ギャラクシー賞、日本放送文化大賞をはじめ、数々の賞を受賞している。

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