夢見る宝くじ

目指せ!一攫千金 夢見る宝くじ

12月31日は年末ジャンボ宝くじの抽せん日。この時期は宝くじを目にする機会が多くなります。一口に宝くじと言っても、現在は様々な種類があり、楽しみ方も人それぞれ。日本宝くじ協会が行った調査によると日本人の75.2%が宝くじを購入した経験があるそうです。多くの人が一攫千金を夢見る「宝くじ」ですが、一体いつから何のためにはじまったのでしょうか。そのルーツに迫ります!

はじまりは江戸初期の大阪“福”を求めて人が殺到!?

日本ではじめての宝くじは、江戸時代初期の寛永元年頃に摂津箕面(大阪府)の瀧安寺ではじまった「箕面富」です。この当時は、宝くじではなく「富くじ」と呼ばれていました。目的は寺社の修復費募集のため。興行主になるためには、幕府からの許可が必要だったそうです。仕組みは今の宝くじに通じる部分も多く、興行主が番号入りの富札を発売し、別に用意した同じ番号の木札を箱に入れ、期日に小穴からキリで木札を突いて当たりを決めていました。当選者には福運のお守りが授けられていたそうです。古今東西多くの人がこの瀧安寺の福運のお守りを求めて訪れたため、大変な繁盛ぶりだったと言います。

金銭のくじに夢を託した庶民 幕府から禁止令が発令!

瀧安寺の「箕面富」が人気を集めると、次第に全国で金銭が当たる「富くじ」が広がっていきました。人々はこれに狂喜乱舞し、仕事を放り出す事象が続出。終いには元禄5年に幕府から「人心を乱す」と富くじ禁止令が出されたほどでした。しかし、元禄13年頃になると幕府財政が困窮。国が寺社を援助できなくなったことから、幕府は寺社でのみ、修復費用調達の方法として「富くじ」の発売を公認するようになりました。これを公然と許されるという意味で天下御免の宝くじ「御免富」と呼んだそうです。特に江戸の三富として有名だったのは、谷中の感応寺、目黒の瀧泉寺、湯島天神の富くじでした。

(現在の貨幣価値に換算)

瀧安寺で行われた「箕面富」では福をもらえるのに対して、金銭が当たる「富くじ」のはじまりは享保15年に護国寺で開催された「富突(とみつき)」と呼ばれるものでした。このくじは、1枚十二文(約360円)で発売され、1等5名に25両(約300万円)の当せん金が出ていたそうです。寺には4万個の富札が入る箱が5つあり、毎回すべてが満杯になるほどの人気でした。実に20万枚の富札が売られていたことになり、売上は一回につき7200万円にも昇りました。

103年もの間“宝くじ”が消える 復活のきっかけは軍事費調達

唯一の富くじであった「御免富」も、天保13年の「天保の改革(徳川家慶)」によって禁止に。地方で微かに残っていた富くじも、明治元年(1868年)に太政官布告が出されたことで根こそぎ禁止になりました。これ以降、103年に渡って、富くじは販売されることはありませんでした。
くじが復活したのは昭和20年。目的は軍事費の調達のためでした。当時の価値で1枚10円、1等賞金は10万円。「勝札」という名称で販売されました。しかし、抽せん日を待たずに敗戦となったため換金は行われず、皮肉にも「負け札」と呼ばれるようになりました。

近代宝くじの変遷とは!

戦後、荒廃した地方自治体の復興資金調達を図るため、各都道府県が独自に宝くじを発売できることになりました。
そこから現代までの変遷を追ってみましょう。

昭和21年 復興の手段としての宝くじ

地方くじ第1号「福井県復興宝籤」(別名ふくふく籤)が登場。その後、政府が統括するくじは昭和29年に廃止され、自治宝くじだけが残りました。昭和34年には「全国自治宝くじ」、「東京都宝くじ」、「関東・中部・東北自治宝くじ」、「近畿宝くじ」、「西日本宝くじ」の5つが成立。現在のベースになっています。

昭和30年代後半 東京五輪に向けて記念宝くじ発売!

日本中がオリンピックブームに湧いたこの時期、宝くじは5年間五輪マークを入れたデザインを採用。中には、オリンピックの入場券を賞品にした自治体もあったそうです。これ以降、宝くじは様々なイベントとコラボレーションすることになります。

昭和40年~昭和43年 最高賞金がぐんぐん上昇!

この頃になると、最高当せん金が昭和40年に700万円、41年に800万円、43年に1000万円と年を追う毎に上がっていきました。売り場に並ぶ人も目立つようになり、発売した宝くじがすべて売り切れるようになったのもこの時期。昭和42年には9月2日が「宝くじの日」に制定されました。

昭和45年~ 空前の宝くじブーム到来

当せん金の高額化によって宝くじブームに。あまりの人気で予約制が導入されたほどでした。発売当日の混雑こそ緩和されたものの、その予約券にさえ行列ができるという状況だったそうです。

昭和54年~ ジャンボ宝くじの登場!

年に3回発売されていた予約制の大型くじは、マスコミで使われていた「ジャンボ」という愛称が使われるようになりました。昭和55年の「ドリームジャンボ宝くじ」では1等当せん金が3000万円に。その後、昭和60年には1等当せん金が5000万円にまで上昇しました。

平成元年~平成6年 ついに最高賞金一億円突破!

高額化に伴い、人気を集めるようになったジャンボ宝くじ。平成元年には1等当せん金6000万円、1等・前後賞合わせて1億円と大台を突破。平成6年には数字選択式の「ナンバーズ」が登場し、人気を集めました。その後、平成8年にはジャンボ宝くじの予約制が廃止され、1等の当せん金が1億円に達しました。

平成13年 年間販売実績1兆円を達成!

オータムジャンボの登場、ロト6の人気もあって、宝くじは若い方からお年寄りまで楽しめるものに。昭和59年から「インスタントくじ」として親しまれていたくじが「スクラッチ」に愛称を変えたのもこの時期です。

平成25年 年末ジャンボの賞金が過去最高7億円に

国民の多くが宝くじを楽しむようになった現在。平成25年の年末ジャンボ宝くじでは1等・前後賞合わせて7億円というジャンボ宝くじ史上最高の当せん金額になりました。

多くの人のためになる 災害と宝くじの関係

平成7年に起きた「阪神・淡路大震災」、平成17年の「新潟県中越大震災」。そして、記憶に新しい「東日本大震災」においても復興を名目にした宝くじが発売されています。特に阪神・淡路大震災復興協賛宝くじは、初の1等1億円宝くじとして発売され話題を集めました。東日本大震災の時には、東京都も独自に復興宝くじを発売し、復興支援のために使われたそうです。また、宮崎で起こった口蹄疫問題の際にも、支援を目的とした宝くじが発売されました。このように、宝くじはただ楽しむだけでなく、誰かを支えることが本来の目的なのです。今後も地域の発展・復興への大きな役割が期待されています。

1等10万円からスタートした宝くじ。約70年の歴史を経て、平成25年には過去最高の1等・前後賞合わせて7億円にまで増えていきました。これは宝くじが国民に受け入れられたからこそなし得たことです。次のページでは宝くじにまつわる、素朴な疑問やトリビアを紹介します。

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