特集 高校野球が”熱すぎる”ワケ

ホントにあった熱すぎる甲子園トリビア

実力が拮抗しているだけに、何が起こるかわからない高校野球。そんな群雄割拠の戦いだけに、応援に熱が入りすぎてしまうのも当然のこと。プレーヤーの熱い戦いを見守る観客、応援団、OBたちが、“熱すぎる”が故、起こしてしまった数々のエピソードをご紹介します!

その瞬間、球場は騒然と・・・像を応援団の一員にした高校

甲子園の応援といえば、ブラスバンドに応援団などが入り乱れ、実ににぎやかです。各校が趣向を凝らし、見ているだけでも応援熱が高まります。しかし、過去にはついヒートアップし過ぎてしまった高校もあります。1951年の選抜大会に出場を果たした鳴尾高校(兵庫)は、地元・西宮から念願の出場を果たし、部員だけでなく応援団も地元の人々も歓喜に湧いていました。そして、あろうことか、当時の応援団長が甲子園に隣接する遊園地「甲子園阪神パーク」と交渉し、象を応援団の一員として連れ出すことに成功したのです。団長自ら象の上に乗り、グラウンドに現れたというから、選手も観客もさぞかし驚いたことでしょう。さすがに退場となりましたが、借りる方も、貸す方も少々度が過ぎたようです。

スコアボードの校名が突然変わった!

次は高校OBによるエピソード。甲子園のスコアボードの高校名は現在、4文字まで表示されるようになっていますが、1986年当時は3文字しか入らず、長い場合は略されていました。その年に出場を果たした栃木県代表・宇都宮工のスコアボードには「宇都宮」と言う表示に。これを見た同校OBが猛クレーム。なぜなら、宇都宮工は地元では「宇工」と呼ばれ親しまれていたためです。これを受け、試合途中からスコアボードには「宇 工」と表示されるように。しかも、「宇 工」になった途端、劣勢だった打線が火を噴き逆転勝ち。OBのパワーが選手に届いた瞬間です。

甲子園名物の土は、そこらの土とはワケが違う!

甲子園のグラウンドは今でも日本一といわれていますが、その思いは開場当初からの伝統。“野球場の土なんて敷いてあればいい”という時代に、阪神電鉄は東洋一の球場をつくるため「イレギュラーバウンドをせず、走りやすく、水はけのよい土」を求めました。しかし、地元・西宮は白白球が見えにくい白い砂。そのため、方々の土を取り寄せ、たどりついたのが淡路島の赤土。神戸・熊内の黒土と混ぜ、粘り具合を確認した上で敷き詰めました。ちなみに現在は、岡山県日本原、三重県鈴鹿市、鹿児島県鹿屋などの土をブレンドしたものを使っています。

これぞ深イイ話!甲子園の土に込められた思い

負けたチームは土を持ち帰るという伝統がありますが、やむなく土を持ち帰れなかった高校も。1958年に開催された第40回記念大会は、全国の代表校にアメリカ施政下にあった沖縄の代表校・首里高を加えた47校で開催。残念ながら首里高は1回戦で敗れ、甲子園の土を持ち帰ることになりました。しかし、那覇港に着いたとき、その土は植物検疫法を理由に海へ捨てられてしまうことに。しかし、これを知ったCAの方が「土がダメならば」と甲子園の小石をプレゼント。その石は甲子園出場記念の「友愛の碑」の台座部分に球場をかたどってはめこまれています。

甲子園優勝のご褒美も紆余曲折!

夏の甲子園の第一回大会では勝利チームに賞品が贈られていたのをご存じでしょうか? 内容はというと、優勝チームには大辞典と五十円の図書切手、選手全員に腕時計が1個ずつ。準優勝チームの選手には英和中辞典を1冊ずつ、一回戦の勝利チームには万年筆1本が配られるという豪華なもの。しかし、大会終了後に議論が交わされ、それ以降、特別な賞品は贈られなくなりました。また、春の選抜では、優勝校にアメリカ旅行プレゼントされていた時代もあったようです。

初代の優勝旗は約1,000万の価値が!

現在、高校野球の優勝校には、優勝旗と優勝杯、メダルが手渡されます。優勝旗は、1年間その学校で大切に扱われ、次の大会で返還後は優勝旗のレプリカと交換されます。優勝旗は、夏のものが「大深紅旗」、春のものが「大紫紺旗」とよばれ、大深紅旗は、第1回大会から39回大会までが初代、40回大会以降は2代目が使われています。この優勝旗、初代のものは、伝統工芸の西陣織の職人に依頼して作ったもので、制作費は約1,500円。現在でいうと約1,000万円もの価値。2代目も同様に西陣織ということで、同じくらいの価値があるといえるそうです。

さすがは、熱すぎる高校野球。長い歴史の中には、様々な珍事があったようですね。
しかし、これも高校野球の“熱さ”があってこそ。
そこで、今回は元・高校球児のあの有名人に、特別インタビューを行いました!
プレーヤーから見た高校野球の魅力とはどんなものだったのでしょうか?

取材協力

公益財団法人 日本高等学校野球連盟

高等学校野球の健全な発達に寄与することを目的に、1946年に設立。夏の全国高等学校野球選手権大会や春の選抜高等学校野球大会、
全国高等学校軟式野球選手権大会を運営。そのほか、高等学校野球の普及・振興のための活動を幅広く行っている。

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