特集 高校野球が熱すぎるワケ

なぜ、高校野球は、人を熱くさせるのか?

夏といえば、海水浴や花火大会など数々の風物詩がありますが、全国高等学校野球選手権、通称「夏の甲子園」もその一つ。 全国約4,000校の予選を勝ち抜いてきた選手たちが晴れの舞台で白球を追いかけます。
勝利に歓喜し、負けて涙する。ただ一度の負けも許されない戦いは、毎年数々のドラマを生んでいます。
一方、それを見守る応援者たちも負けじとヒートアップ。出身県の高校の結果が気になって、仕事が手に付かない!という人も多いのではないでしょうか。今回は、そんな高校野球のルーツと、熱さの源泉に迫ります!

もしかしたらプロ以上!?高校野球の人気ぶりとは

周知の事実かもしれませんが、テレビで全試合が生放送される高校スポーツは野球だけ。これだけでも、注目度の高さがうかがえますが、視聴率もまた、その人気を証明しています。高校野球の視聴率歴代1位は、1978年8月20日の決勝戦、PL学園(大阪)対高知商業(高知)戦。実に、50.8%もの視聴率をたたき出しました。最近では、斎藤祐樹選手と田中将大選手が延長15回の投手戦を繰り広げた2006年8月20日の早稲田実業(西東京)対駒大苫小牧(南北海道)戦が関東地区で33.7%*1、札幌地区では59.1%*2を記録。たくさんの国民が熱戦に釘づけになっていたことがわかります。この年は昼間の放送にも関わらず、2ケタの視聴率を連日マークし、ナイターの巨人戦よりも視聴率が高いと話題になりました。

また、サッカー人気におされ気味と言われる野球ですが、部員数を見ると、サッカーの15万5815人に対し、野球は16万8,144人*3。昭和57年時点では117,246人だったものが右肩上がりに増え、高い数値をキープ。少子高齢化にも関わらず、高校野球のプレーヤーは増加の一途を辿っています。さらに、阪神甲子園球場の期間中の入場者総数は平成20年から5年連続で80万人以上と高い水準をキープしているのです。

*1 NHK 29.1%(午後2時9分から午後4時55分)とテレビ朝日4.6%の合計。
*2 NHK43.1%(午後2時9分から午後4時55分)と北海道テレビ放送16.0%の合計。
*3 サッカー・野球とも平成24年

高校野球の盛り上がりを生んだ聖地・甲子園球場

阪神タイガースの本拠地として知られる甲子園ですが、もともと高校野球(当時は中等学校野球)を開催するための球場として作られました。甲子園が完成した1924年以前は、まだプロ野球が存在せず、代わりに中等学校野球が人気を集めていました。しかし、当時の開催球場であった兵庫県西宮市・鳴尾球場の収容人数は5000人ほど。ときには球場に観客がなだれ込み、ゲームを中止することもあったそうです。
このような事態を防ぐためにも、大規模な球場を求める声は次第に大きくなっていきました。阪神電鉄の三崎専務(当時)は、この声を受け、日本初の大規模球場の建設を決定。その当時、世界一と言われていたアメリカのヤンキースタジアムに匹敵する球場作りをスタートさせ、1924年に甲子園球場が完成したのです。

その破格のスケールに選手たちはとまどい、大きなスタンドから響く歓声にも圧倒されたといいます。極め付けは、1934年に来日したベーブルースの言葉。グラウンドを見るなり、「Too large(大きすぎるよ)」と目を丸くしたと言います。甲子園を訪れるとき、こうしたエピソードを知っているとまた違う思いが湧きあがってきそうです。

数字で見る!高校野球のアレコレ

高校野球は若さと若さ、それぞれの都道府県がぶつかりあう戦い。それだけに、通常では考えられないデータや記録が生まれることも。数字に表れた甲子園の魅力を掘り下げていきましょう。

出場校が最も多いのはどこの県?

2012年には、全国から3985校が出場した全国高校野球選手権大会。ある意味、都道府県同士の戦いと言っても過言ではありません。では、もっとも出場校が多い県はどこになるのでしょうか? 1位神奈川県190校 結果は僅差で神奈川県が愛知県を破り、1位となりました。一方最も少ないのは島根県の25校。これだけ学校数が違うと、出場できる難易度も変わってきそうですね。

甲子園の歴史の中で、最も勝っている学校とは?

ずばり、愛知県の中京大中京です。春夏通算で131勝と2位の大阪・PL学園に大きく差を付けています。
上位10チームを見ると、9校が西のチームとなっており、東西で考えると圧倒的に西が強いことになります。
県別で見ると、1位が愛知県、2位が大阪、3位が兵庫となり、西の盤石ぶりが目立ちますね。 1位中京大中京(愛知)131勝45敗

甲子園での最多得点は何点?

1985年 PL学園(大阪)29点 普通、野球の試合では多くても10点前後になることが多い得点。しかし、実力差が大きすぎたために大敗を喫したチームもあります。もっとも点差の開いた試合は1985年に行われたPL学園VS東海大山形戦です。
29対7と22点差でPL学園が勝利しました。この時のPLは清原、桑田のKKコンビがいた黄金期。32安打で毎回得点と記録づくめの試合となりました。

また、地方予選を見ると、これまた凄まじく、1988年の青森県大会では122対0という点差が! この結果は翌日の全国版スポーツ紙の一面を飾ったというから、勝った方も負けた方もさぞかし驚いたことでしょう。

白河の関は越えられない 東北・北海道地区代表に立ちはだかるジンクス

甲子園優勝校の顔ぶれを見ると中部から関西が多く、東北・北海道地区の高校が少ないことが分かります。この理由として考えられるのが、東北地方の雪。豪雪地帯が多く、どうしても冬のトレーニングが困難になるためです。今でこそ屋内練習場を有する高校もあるようですが、当時はどうしようもならなかったとか…。これを指し、「白河の関は越えられない」と言われることもありました。しかし、晴れて2004年に駒大苫小牧が優勝。白河の関を超えることができました。

甲子園は、まさに都道府県同士の戦い。出身地の応援に熱くなるのも仕方ないことなのですね。
次のページからは、そんな応援する人たちの“熱すぎるエピソード”を調べてみました。
そこまでやる必要があるのか…。
いや、そこまで熱くさせる何かがグラウンドにあるのです。

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