特集 人はなぜ8時間働くのだろう

睡眠時間8時間、自由時間8時間残りの8時間を動労に!?

5月1日に行われるメーデーは、世界各地で労働者が権利を要求する日。ことの発端は1886年のアメリカに遡ります。当時、アメリカ労働総同盟が8時間労働制を要求するストライキを行い、そこで謳われた「8時間は労働、8時間は休息、そして残り8時間は自分たちの自由な時間のために」が、今の私たちに受け継がれているのです。しかし、ここで言われている8時間労働という数字にはいったい、どんな根拠があるのでしょうか? Trace創刊号では、この“8時間”の起源に迫りました。

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8時間労働の起源は、約120年前のヨーロッパにあった

まずは、労働時間という概念がいつ頃できたのかを見ていきましょう。労働時間の起源を遡ると、約500年前にイギリスで出された「王令」に辿り着きます。そこでは労働時間を朝5時から午後8時までとし、間に休憩2時間を設けていました。実働13時間という長時間労働です。その後、19世紀初期の産業革命などの影響もあり、労働時間は徐々に増加。ピーク時には、1日14時間労働が普通で、長い時には16時間から18時間も働いていたそうです。

なぜ、こんなに働かせるのかというと理由は明白。資本主義の根本的な考えでは、一定の賃金で高い生産性を上げるためには、「より多く働いた方が生産性は高くなる」と考えられていたからです。しかし、これだけ働く時間が長いと、当然健康被害や能率低下、人間としての生活の崩壊などの弊害は免れません。そこで、1800年代から、こういった劣悪な労働条件を改善しようという動きが、世界各地で起きはじめたのです。むろん、日本とて例外ではなく、年少労働者と女性労働者たちの健康・社会生活への影響が社会問題になっていました。

The history of eight-hour labor
  • 1833 工場法[イギリス]
  • 1838-47 10時間法[イギリス]
  • 1856 建築職人8時間協約[オーストラリア]
  • 1886 シカゴのメーデー[アメリカ]
  • 1890 第一回国際メーデー[アメリカ/イギリス/フランス]

この労働時間短縮の運動を通じて、議論になったのが「労働時間は何時間にするのが最適か?」という点。確かに、7時間でも9時間でも、10時間でもいいんじゃない? と考えるのは自然のことでしょう。当時、最適な労働時間が決定するまでの過程は、1894年に刊行された「8時間労働論/ジョン・レイ」に詳細が書かれています。書によると、19世紀のヨーロッパでは10時間、9時間、8時間労働のどれが最も生産性が高いのかという実験が行われていたと言います。

例えば、鉄工所で8時間労働日を導入したところ、多職種に効果的だったこと。また、工場では8時間制を採用したことで労働者が活性化し、生産性の向上が見られるなどの結果が得られました。つまり、長時間労働を1日8時間にすることで、生産性が上昇するという実験結果が出たのです。これはいくら機械の働きが大半を占めたとしても、それを扱う労働者の“能力とがんばり”によって生産性が大きく左右されることを意味していました。

一方、日本でもこれらのヨーロッパの労働時間の研究をベースに、独自の労働科学研究は行われていました。例えば、労働時間の許容範囲を「1日の血清蛋白質濃度」の違いから、生理学的に考察するような実験が行われていたという記録があります。さらに、1890年には秀英舎(現・大日本印刷株式会社)の社長佐久間貞一氏が印刷工場にて8時間労働の実験を行っていたという文献も発見されています。

これらの研究によって、労働時間を短縮することによって「節制と健康と知力と能率が向上すること」が徐々にわかってきました。その後、長年に渡る時間短縮の実績や、欧米での8時間労働研究のおかげもあって、8時間労働論は世間に広く受け入れていったのです。そして、1919年のILO第1号条約にて、8時間労働が採択されたことによって、世界のスタンダードとなりました。ここ日本でも、1947年に労働基準法が制定されて以来、8時間労働が行われるようになりました。

参考資料:小木和孝「J・レイ8時間労働論」日本労働研究雑誌1996年

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